落語の名作「芝浜」~よそう。また、夢になるといけねえ
こんにちは、アマチュア落語家の太助です。今回は落語の名作と呼ばれる「芝浜」を紹介します。「よそう。また、夢になるといけねえ」というオチのセリフは、とても有名です。『笑点』でもギャグで使われているので、みなさんも耳にしたことがあるかもしれませんね。
芝浜のあらすじ
1)魚屋の勝五郎(魚勝)は酒におぼれて、しばらく仕事をさぼっている。女房に尻を叩かれ、魚を仕入れに芝の河岸(かし)に来てみると、まだ早すぎて開いていない。仕方がないので芝の浜で一服していると、流れ着いた財布を見つける。開けてみると、なんと五十両もの大金が入っていた。勝五郎は長屋に戻り、仲間を集めて、大酒を飲み、ご馳走をふるまって、その日は寝てしまう。
2)翌朝、「酒代はどうするのか」と尋ねる女房に、勝五郎は昨日の大金の入った財布の話しをする。ところが女房は「大金って何の話しだい? 夢でも見たんじゃないか」という。どこを探しても財布は見つからない。「あれは夢だったのか」とあきらめ、それ以来、勝五郎は心を入れ替え、酒を断ち、仕事に打ち込むようになる。その結果、表通りに店を構え、人を使うまでになる。
3)三年後の大みそか。女房が勝五郎に、ぶつなり殴るなりしていいからと、財布を差し出し、いきさつを話し始める。財布の横領は死罪。このまま大金を手にしたら、亭主は本当にダメな人間になってしまう。困った女房は大家と相談のうえで、役所に届け、亭主には夢だと話すことにした。三年後、落とし主が不明で財布は下げ渡されたのである。
4)三年間、隠していたことを詫びる女房に、勝五郎は自分を立ち直らせてくれたと感謝する。女房は、勝五郎の労をねぎらって、久しぶりに酒でもつけようかと言う。勝五郎は喜んで、一度は盃に手をつけるが、それをおろしてひと言。
「よそう。また、夢になるといけねえ」
落語の成立
古典落語の祖と言われる三遊亭円朝が、「酔っ払い・芝浜・革財布」という客からのお題で作った三題噺ともいわれます。円朝以降、さまざまな落語家によって継承され、磨き抜かれた人情噺(にんじょうばなし)です。また、この落語をもとに、芝居も作られています。
三代目・桂三木助は、芝浜の情景描写に文芸的な色合いを付けて、高い評価を得ました。例えば、夜明け前の芝浜の光景を、三木助はこのように語ります。
「いやー、いい色だなあ。よく空色ってえと青い色のことをいうけれど、いや朝のこの日の出の時には空色ったって一色だけじゃねえや。五色の色だ。小判みてえな色をしているところがあると思うと、白っぽいところがあり、青っぽいところがあり、どす黒いところがあり……」
三木助以外にも、古今亭志ん生、金原亭馬生、三笑亭可楽、古今亭志ん朝、立川談志など名人・上手と呼ばれる落語家が、この噺を演じてきました。
ちなみに芝浜の舞台は、JR田町駅の西口から5分程度のところにある本芝公園の辺りだったようです。いまは埋め立てられていますが、昔は一帯が海岸で、雑魚場(ざこば)と呼ばれていたそうです。
本芝公園
好みの分かれる落語「芝浜」
名作と呼ばれる芝浜ですが、聞き手の好みの分かれる噺でもあります。女房の愛情と機転によって、飲んだくれの魚屋が立ち直るという人情噺ですが、「夫婦愛」+「ダメな男の再生」というテーマが古くさく通俗的で嫌いという人もいるようです。
また、落語家さんの中でも、芝浜の筋立てについて
・飲んだくれが、あんなに簡単に酒をやめられるのか?
・魚屋のような職人が、女房に嘘をつかれて、怒ったり、殴ったりしないのはおかしいのではないか?
と感じる方もいるようです。このため、落語家によってラストのシーンの演じ方などが少し異なります。
年末・年始の寒い時期に演じられることの多い作品です。芝浜の世界が好きか、嫌いか、ぜひ一度、ご自分で味わってみてください。
三代目 桂三木助「芝浜」
関連記事