落語はビジネスにも役立つ!「笑う力」を身につけたい

アマチュア落語家・太助が、落語の魅力を考えます。

落語『棒鱈』:芋侍を笑い飛ばす江戸っ子の心意気

こんにちは、アマチュア落語家の太助です。いま『棒鱈(ぼうだら)』という噺を稽古しています。

 

料理屋の二階で江戸っ子が二人で飲んでいる。一人は酒癖が悪く、すでに酩酊状態。芸者を呼んで待っていると、隣の座敷に芸者が大勢入って、大騒ぎしているのが聞こえてくる。隣ではしゃいでいるのは薩摩侍。マグロの刺身を「赤べろべろの醤油漬け」と呼んでみたり、野暮ったい歌ばかりうたうので、酔った江戸っ子は腹が立って仕方ない。相方が止めるのも聞かず、隣の侍の顔を覗きに行くのだが、酔っているのでふすまごと座敷に転がり込んでしまう……。

 

この田舎侍が噺の中で、国元の歌(?)をいろいろと歌います。

 

もずの口ばし

♪もずの口ばし 三郎兵衛のなぎなた 差せやから傘 ワッキリ チャッキリ~

 

十二か月

♪1月 1がち~は 松飾り、2月 2月はひなまちゅり、3月 3月はテンテコテン~

 

琉球

琉球へおじゃるなら わらじ履いてや おじゃれ~

 

江戸っ子が粋な都々逸(どどいつ)で対抗しようとしてもお構いなし。嬉しそうに田舎侍は歌い続けます。

 

将軍のお膝元に暮らすことを誇りとした江戸っ子の心意気

 

この落語は、田舎侍の野暮ったさを、とことん強調して笑い飛ばす噺です。落語は基本的に町人が主人公であり、侍は威張りくさったイヤな奴という役どころです。これは江戸っ子の気分を表しているのでしょう。中でも馬鹿にしていたのが、地方から江戸に来ている各藩の侍です。江戸屋敷に住む彼らを「田舎侍」と呼び、その野暮ったさを笑い飛ばしていました。

 

しかし、ご存じのように慶応3年(1867)に大政奉還、翌4年には徳川家は新政府に江戸城を明け渡します。明治政府の中心メンバーである薩摩藩長州藩藩士たちが、わがもの顔で江戸に乗り込んできたのです。

 

徳川家は駿河遠江国など70万石に移封となります。800万石といわれた所領が10分の1以下になってしまったわけです。

 

『大奥の女たちの明治維新』という本によれば、この時期の幕臣の数は3万人強。70万石の大名として召し抱えられる藩士の数は5千人程度。2万人以上の幕臣には、徳川家の籍を離れてもらう必要がありました。このとき徳川家は、幕臣に3つの選択肢を提示したそうです。

 

①新政府に帰順して朝臣となる。つまり政府に出仕する。

②徳川家にお暇願いを出して、新たに農業や商売を始める。

③無禄覚悟で新領地の静岡に移住する。

 

新政府に仕えるか。武士を捨てて商売か農業を始めるか。それとも、藩主と共に無給を覚悟で静岡に移住するか。徳川家としては身上が10分の1以下になってしまうため、①の「新政府に仕える」を選んでもらいたかったはずです。しかし、新政府に仕えることを潔しとせず、静岡移住を選んだ幕臣は1万人以上になったそうです。

 

政府に仕えることを良しとしない空気は、幕臣の間で非常に強かった。朝臣となった幕臣を裏切り者扱いし、白眼視した。

 こうした空気は、魚屋や八百屋も共有していた。政府に身を売った幕臣の家には、魚も野菜も売らなかったという。将軍のお膝元に暮らすことを誇りとした江戸っ子の心意気といったところだ。(p.61)

 

 

政府への出仕を決めた幕臣にも後ろめたい気持ちがあり、人とはなるべく会わないように暮らしたそうです。しかし、結果として彼らの選択は賢明でした。農業や商売を始めた者は、「士族の商法」という言葉があるように大半が失敗。また武士の意地を貫き、静岡に無禄覚悟で移住したものは、ひどい生活難になり、ときには草まで食べるというような困窮生活を送ることになります。

 

ともあれ江戸っ子には、田舎侍、ましてや薩摩侍に対する強い侮蔑の感情があったようです。落語「棒鱈」は、そのような江戸っ子の心意気がうかがえる興味深い落語です。ぜひ、聴いてみてください!

 

参考文献

『大奥の女たちの明治維新

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安藤優一郎(著)

朝日新聞出版社

 

柳家さん喬「棒鱈」

www.youtube.com

 

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