落語はビジネスにも役立つ!「笑う力」を身につけたい

アマチュア落語家・太助が、落語の魅力を考えます。

柳家さん喬、柳家喬太郎が語る「師弟」とは

こんにちは、アマチュア落語家の太助です。今回は書籍『なぜ柳家さん喬柳家喬太郎の師匠なのか?』を紹介します。

 

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師匠は弟子にとって唯一無二の存在

 

落語業界は、師弟制度の残る極めて特殊な世界です。落語界に入るためには、必ず落語家に弟子入りしなければなりません。弟子入りが認められなければ、落語家になることはできないのです。また、師匠の意向にそぐわないことをしたり、失敗をして師匠から破門されると、弟子は落語界から即座に追放処分となります。

 

弟子入りすると、師匠のお手伝いや寄席の下働きなどをしながら、師匠から落語を教わっていきます。以前は内弟子といって師匠の家に住み込んで修行する形態もありましたが、住宅事情の変化などに伴い、現在では内弟子を置く落語家はほとんどいません。

 

落語は基本的に、師匠の噺(はなし)を聞いて覚えます。どのような落語を、どういう順番で習得すべきかなど弟子の育成方法は師匠にゆだねられています。例えば三遊亭歌之介(現・四代目圓歌)は、新作落語を志向したのですが、師匠が認めなかったため独自の漫談落語を開拓していきました。弟子が師匠の許可を得ずにCDで落語を覚え、高座にかけることなどご法度です。覚えたい落語を師匠が持っていない場合は、師匠を通して他の落語家に教えを請います。

 

師匠は弟子の生殺与奪の権利を持っているといわれるのは、このような事情からです。しかし、弟子をとることでの師匠側のメリットは、まったくと言っていいほどありません。相撲界では弟子をとると給金が支給されますが、落語界では弟子に対する補助はありません。弟子がどれだけ人気者になっても、師匠に金銭的な返礼をすることもありません。つまり師匠は無償で噺を教え、ときに小遣いもやり、弟子を育てているのです。それも全て、「師から弟子へ」というかたちで落語を継承していくという使命感ゆえなのです。

 

このような特殊な師弟制度が現存する落語の世界において、人気落語家である柳家さん喬喬太郎師弟が、「師について」「弟子について」を語り下ろしたのが本書です。

 

20年に1人の天才を弟子として抱えること

 

柳家さん喬は、人間国宝である五代目・柳家小さんに入門。古典落語の名手として知られ、2017年には紫綬褒章も受章しています。端正で本寸法な落語は評価が高く、人情噺や女性の登場する噺を語らせたら右に出る者はいないとまで言われています。

 

さん喬の一番弟子にあたる柳家喬太郎は、いまや落語界のトップランナーといってよいほどの人気者です。新作落語古典落語を縦横に演じ高い評価を受けているだけでなく、ドラマやテレビのコマーシャルへの出演も多く、全国区の知名度を誇ります。

 

本書は4章で構成されています。第1章ではさん喬×喬太郎の対談で、喬太郎が弟子入りするまでと、師匠になったさん喬の戸惑いなどが語られます。第2章では、さん喬が師匠の小さんについて語り、第3章では喬太郎が師匠について語り、第4章ではさん喬×喬太郎で「芸を継ぐ」というテーマについて話しています。

 

中でも特筆すべきは第1章で、さん喬が「師匠としての葛藤」を赤裸々に語っていることです。学生落語でいくつもの賞を獲り、「20年に一人の逸材」といわれる喬太郎を弟子に持つことの戸惑いや不安、その才能に対する嫉妬さえも、さん喬は包み隠さずに述べています。

 

さん喬 俺がもし彼をつぶしてしまったら、落語の歴史に残る逸材を、俺が殺したことになるのかと思う。一方で、同じ噺家として情けない思いも抱えていた。極端なことを言ったら嫉妬です。こいつを生かして、なんで俺が死んでいかなきゃいけないんだって、そういう嫉妬はありますよね。だけどこいつをつぶしたら、俺はこの落語界からはじかれてしまうような人間になるんだなと思う。

(中略)

 葛藤しましたよ、一時期は。こいつが一角(ひとかど)になって、誰からも「さん喬師匠の総領弟子の喬太郎はいいですね」と言われるたびに、総領弟子の喬太郎はいいんだ、俺がいいわけじゃないんだって、そういうひがみ根性を抱いたりもします。(p.52)

 

 

年齢も15歳しか違わない喬太郎に対して、柳家さん喬はどのように育てていくか悩み続けます。しかし、喬太郎の噺を聴いて「ここは嫌いだな」という部分があっても、師匠として簡単に指摘はできません。師匠がやめろと言えば、弟子は二度とやれなくなるからです。

 

芸を継承するということ

 

芸に対しては安易に指図をしないさん喬ですが、弟子の危機に際しては気を付けています。喬太郎は考え込む性格なので、ごひいきから「さん喬の弟子なのに、どうして古典落語をやらないのか」といわれ落ち込んでしまうことがあったそうです。その際は、ごひいきに引きずられないように、と忠告をしました。それは自身の苦い経験を踏まえての諫言なのです。

 

「ニーズに応えすぎると自分のやりたいものができなくなる」とさん喬は語ります。「さん喬は人情噺がいい」「女を表現させたら一番だろう」というニーズに応えすぎたがために、自分の好きな落とし噺ができなくなってしまったという体験があるからです。

 

また芸の継承というテーマについて、さん喬は師匠・小さんの芸を継ぐことをこのように語っています。

 

さん喬 聴いてわかっても、それは上っ面のわかり方ですよね。(中略)古今亭の噺を教えていただいて覚えたときに、「小さんはこういうふうにやるな」と考える。そこで初めて小さんの芸が継承できるんです。どんな噺をしても小さんがそこに介在することが、小さんの芸を継いでいくことになると思います。(p.240)

 

本書は落語界の師弟について、また芸の継承について深く考えさせられるものでした。各章末の補足説明も資料性の高く、楽しいものです。落語ファンにはお勧めの一冊です。

 

 

『なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか?』

柳家さん喬 柳家喬太郎(著)

徳間書店