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書籍『師匠、御乱心!』:円生一門の協会脱退の悲しき顛末

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こんにちは、アマチュア落語家の太助です。今回は、三遊亭円丈(著)『師匠、御乱心!』を紹介します。昭和の名人・三遊亭円生が、落語協会の方針に反対し、協会を脱退した騒動の顛末を、一門の円丈が内側から描いた作品です。

 

本書は1986年に『御乱心』として刊行されたものですが、文庫版として再販されたので、改めて読み返してみました。

 

事件が起きたのは昭和53年(1978年)5月。落語協会の副会長だった三遊亭円生が、古今亭志ん朝三遊亭円楽立川談志など協会の若手幹部を引き連れて、新協会「三遊協会」設立を図ります。事の発端は、落語協会で始まった大量真打です。

 

落語家には、前座、二つ目、真打(しんうち)という序列があり、最高位である真打は師匠および所属協会に認められる必要があります。15 年程度の修行を経て、晴れて真打に昇進すると、真打昇進のお披露目興行なども行われます。

 

しかし、寄席の減少や落語人気の低迷もあり、落語協会は、二つ目の増加に対応できなくなり、大量真打制度を導入します。これは、一度に10人程度の真打を承認してしまおうというものです。真打を落語家の最高位と考える昭和の名人・円生は、真打の大量生産に真っ向から反対し、新協会の設立を目論むのです。

 

30年振りに本書を読み返しましたが、これが実におもしろいのです。著者の円丈が、33歳で真打昇進を果たし、その披露興行が終わった翌日から始まる協会脱退騒動。古今亭志ん朝三遊亭円楽立川談志月の家円鏡ら、人気の落語家が新協会参加の名乗りをあげたことで、協会設立は成功するかにみえます。しかし結果は、寄席の席亭の反対により、目論みはとん挫。協会復帰を勧める席亭の仲介を拒んだ円生一門のみが脱退し、新協会を旗揚げすることになります。

 

この過程で、円生の弟子たちは振り回され、バラバラになっていきます。円生を焚き付けていた一番弟子の円楽は、当初の計画がうまくいかないのを知り、円生から距離をとり始めます。その他、一門を離れて落語協会に行く者、廃業する者。円丈など師匠に付いていった落語家は、寄席に出ることができないため地方のホールをまわる日々が続きます……。

 

トップに振り回される部下たちの悲劇

 

本書のおもしろさは、人間の権力に対する欲望や、トップに振り回される部下たちの悲哀が見事に描き出されていることです。

 

大量真打という協会の方針に、どうしても納得できない円生。落語業界で権力や地位が欲しい円楽、談志。特に本書での五代目・円楽のあくどさは際立っています。おもしろい小説や映画の条件は、圧倒的な悪役が登場することですが、円楽の存在感はずば抜けています。

 

また、真打となり、ようやく次のステップを歩き始めた円丈の焦り、師匠からの仕打ちに対する幻滅はせつないものがあります。

 

俺は円生を許しはしなかった。今もまだ許していない。ただ、あの心の拷問で、俺の円生を思う心が死んでしまったのだ。(p.170)

 

脱退後、頭を下げて協会に戻ることを拒んだ円生は、騒動の翌年に他界。著者の円丈は、落語協会に頭を下げて復帰し、その後、創作落語に活路を見出していきます。五代目・円楽は協会に戻らず、新団体を設立(現在の円楽一門会)。立川談志は一度、落語協会に復帰するも、その後、協会を飛び出して落語立川流という独立団体を設立します。

 

6歳から寄席に立ち、『寄席育ち』という書籍さえ刊行している昭和の名人・円生が、人生の最後で寄席に立てなかったのは、おろかしくも、切ないものがあります。最後まで、自身の面子にこだわったからでしょう。御乱心の殿さまは、結局、自分のホームグランドに帰ることができなかったのです。

 

本書で繰り広げられるドタバタは、会社の中でもよく見られる、おろかしくも、せつない悲喜劇です。自分の会社の上司や社長の顔が、脳裏に浮かぶ人もいるかと思います。人間の普遍的な欲望を描いた本書は、円生や笑点の司会をしていた円楽を知らない人でも楽しめる一冊です。お勧めします。

 

『師匠、御乱心!』

三遊亭円丈(著)

小学館文庫

 

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