立川志らくは、テレビで和服を着るべきなのか?
こんにちは、アマチュア落語家の太助です。平日、昼の情報番組『ひるおび!』で、立川志らく師匠がコメンテーターを務めています。そのコメントや話し方には、賛否両論、いろいろな意見があるようです。
なぜ落語家は、テレビであまり見かけないのか?
太助は、「落語家さんは、どんどんテレビに出るべき」と思っています。理由は2つあります。1つは、テレビは最も影響力の強いメディアだからです。テレビに出演する芸能人は、知名度が上がるだけでなく、別格の存在になります。先日、ある漫才ライブで、テレビでよく見かけるコンビが出演していました。そのコンビが登場したとき、集まっている人たちの興奮が、明らかに変わるのが分かりました。テレビに出ている人を直接見られるということは、やはり大きな興奮を誘うのです。
また、テレビ局に行ったことがある方は知っていると思いますが、テレビスタジオの照明の光量はすごいものがあります。まさに眩い(まばゆい)ばかりの世界です。あの明るさに対峙して、何かを演じたり、語ったりするためには、並はずれた能力が必要となります。結果、テレビに出演し続けている芸能人は、独自のオーラをまとうようになります。
テレビに出ることによって、知名度は全国レベルになり、落語会への集客も格段に増え、1ランク上のオーラを身につけられるのですから、落語家さんは、どんどんテレビに出るべきなのです。
しかし現在、娯楽系番組の大半は、ジャニーズと漫才師で占められています。漫才師に需要があるのは、漫才やコントにニーズがあるからではなく、面白いことを言って番組を盛り上げてくれたり、番組をスムーズに進行させてくれるからです。
面白いことを話すことが職業の落語家が、漫才師に代われないはずはありません。
テレビの空間における着物の違和感
しかし、笑点などの「落語枠」以外で、テレビ出演している落語家さんはほとんどいません。これはなぜでしょうか? 昼の番組でコメンテーターを務める志らく師を見たときに、その理由が分かりました。
着物なのです。志らく師匠の着ている和服は高価なものだと思いますが、テレビの空間の中では明らかに異質です。残念ながら、地味で、暗く、沈んで見えます。
和服は、その名の通り、木や紙で作られた「和」の空間にマッチするものです。障子やふすま、畳、床の間、あるいは座布団など「和」の空間の彩りや佇まいに合うのです。寄席は、まさに木と紙を基調とした空間ですから、落語家が最も調和のとれる場といえます。
テレビのセットは、明るすぎるモダンな空間ですから、和服が浮き上がってしまうのは仕方がないのです。
ちなみに落語家さんは、日常的に和服で生活しているわけではありません。着物はあくまで舞台衣装です。普段は私たちと同じく、カジュアルな服装で過ごされています。
ここで1つ言いたいのは、普段着の落語家さんは、ほとんどの方がおしゃれではありません。太助も人のことは言えないのですが、ハッキリ言って「ダサい」のです。
落語会で、落語のあとにトークショーが行われることがあります。高座を終えた落語家さんが私服で出て来たりしますが、これが本当に「センスがない」というか、「うーん」という感じなのです。
テレビにレギュラーで登場する春風亭昇太師匠や立川志の輔師匠は、カジュアルな服装も非常におしゃれです。若い漫才師でもレギュラー番組を多く持っている人たちは、やはり「センスが良いな」と感じます。ファッションセンスは、本人が意識的になり、かつ人の目を意識することで、より磨かれるものだからでしょう。
落語家が今後、テレビにどんどん進出していくためには、和服を脱ぎ、ファッションセンスを磨いてくことが必要なのではないでしょうか。
というわけで、立川志らく師匠には先頭に立って、センスのよいファッションで登場してもらいたいな、と思っているのです。
臨機応変なトークができ、オシャレ感のある落語家さんが、たくさん現れて、テレビ界でもっともっと暴れてくれることを願っています。
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