落語はビジネスにも役立つ!「笑う力」を身につけたい

アマチュア落語家・おさむ家太助が、落語の魅力を考えます。

立川談志:素人が近づくこともできない高き独立峰

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こんにちは、アマチュア落語家の太助です。立川談志追悼興行の情報を調べていたら、恐れ多くも、談志について書きたくなりました。

 

これまで、立川談志ほど、さまざまに評論された落語家はいないでしょう。評論家やお弟子さんによる書籍は、数多く刊行されています。談志自身も、落語論を何冊も書き上げています。

 

また、賛否や好き嫌いが、これほど分かれる落語家も珍しいと思います。「天才」と呼ばれながらも「傲慢」と評され、落語をこよなく愛しながらも「異端」「非常識」と言われました。

 

今回、太助は、「アマチュア落語家が立川談志を、お手本にまねができるか」という観点から考えてみたいと思います。

 

私たちは、落語の稽古をするとき、プロの落語家さんの音源を探してきて、それをまねして噺を覚えます。口調も最初は、できる限り似せるように指導されます。こうすることで、プロの持っているリズムの勉強になるからです。

 

落語を勉強するお手本として人気があるのは、何と言っても名人・古今亭志ん朝です。テンポが良くて、聞きやすく、明るく、楽しい。まさに落語の教科書、お手本としてはピッタリ。「あんな調子で、一度でいいから話せたらなあ」と誰もが憧れます(実際にやってみると、まったくできないのですが)。

 

しかし、同じ名人でも立川談志の名を挙げる人はいません。なぜでしょう? 

 

それは、素人には、ちょっと真似ができないからなのです。

 

談志のテンポやリズムにある「心地よくない」部分

 

素人に真似ができない理由として、以下のようなことが考えられます。

 

マクラやギャグに談志個人をネタにしたものが多い

談志は、自分にしかできない独自の落語を追及していく過程で、マクラやギャグに談志個人の体験、考え方を大量に入れるようになります。噺の途中で、自分の落語論を語り始めることさえあります。

 

落語のストーリーや落ち、人物像を独自に変えてしまっている

落語のストーリーや落ちが、現代では分かりづらい部分は変えてしまいます。また、登場人物の言動も独自の解釈で、大胆に変えてしまうことがあります。

 

同じ噺でも、談志の年齢によって演じ方が異なる

談志が演じた年代によって、同じ噺でも、内容から話し方まで、大きく異なる場合があります。年齢を重ねたり、演じ続ける過程で、解釈や考え方が変わるのでしょう。以前の自分の型を壊して、全く違うものを作っていきます。

 

噺のリズムが、きわめて個性的

柳家小三治師匠が、談志を天才と認めつつも「(二つ目の)小ゑんの頃が良かった」と語っています。30代前半までの談志はテンポが良くて、聞きやすい、いわゆる古典落語の名手でした。しかし談志は、その後、いわゆる「聞きやすさ」を放棄します。スタンダードなジャズから、フリージャズに移行したような感じでしょうか。

 

後年の談志のテンポやリズムには、ある意味、「心地よくない」部分が存在します。噺の途中で、突然、リズムを切って「自分語り」や「落語論」を始めるなどもそうです。気持ちよく聞いているリズムを、意図的に変えたりもします。

 

演劇には「異化効果」という手法があります。演劇の空間に、意図的に違和感のあるものを差し込み、異なる強い印象を与える手法です。日本では蜷川幸雄が、この異化効果をよく用いていました。時代劇のような衣装やセットで作られている空間に、渋谷の繁華街の光景をサッと入れたりします。

 

写真の世界でもそうです。美しい写真を撮ることのできるアマチュアは大勢います。しかし、美しいだけの写真というのは、さほど印象に残らないものです。プロのカメラマンは、美しい風景に、あえて汚れたものを入れ込んだりします。整然とした高層ビル群の光景に、あえて踏みつぶされたビール缶を混ぜ込んだりするのです。

 

談志の噺で「心地よくない」部分に出合うと、この異化効果を思い出します。

 

創り、壊し、再構築し、また壊す

 

落語家さんは、師匠に噺を学び、その型を踏襲し、自分のスタイルを作り上げ、作り上げたスタイルを長年かけて磨き上げていきます。

 

しかし、談志は、このようなかたちでの進化を拒否しました。例えば、得意な噺も、師匠である柳家小さんと「内容が同じ」であることに嫌気がさして演じなくなったものもあるそうです。

 

立川談志という人は、自分の落語のスタイルを創りあげ、それを壊して再構築し、また壊す、という苦闘を続けた落語家です。結果として、誰にも真似のできない『立川談志』を創りあげたのでしょう。

 

その姿勢は、ピカソにも通じるものがあると太助は思います。ピカソも、昨日の自分を今日には否定するかのように、自分のスタイルを変革し続けました。

 

だから、素人がまねをしようとしても、到底、無理なのです。それは、素人が足を踏み入れることもできない高い、高い独立峰なのですから。

 

ぜひ一度、立川談志をしっかりと聞いてみてください。

 

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