落語はビジネスにも役立つ!「笑う力」を身につけたい

アマチュア落語家・太助が、落語の魅力を考えます。

落語家は、メガネをかけてはいけないの? 

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こんにちは、アマチュア落語家の太助です。太助は日常的にメガネをかけています。ひどい近眼で、メガネとは長い、長い付き合い。メガネがないと日常生活はまったく営めません。

 

落語でも、メガネをかけたまま高座に上がっています。メガネを外すと不便ですし、客席の様子を見られないのは、とても残念なのです。「あの人は面白そうに笑ってくれている」とか、「あの人は退屈して、眠ってしまいそうだ」など、お客様の様子を見ながら話すのは、とても楽しいのです。

 

「メガネをかけて高座に上がって、いいのかな?」と、少し気になったことはあります。しかし、春風亭昇太師匠など、メガネをかけているプロの落語家さんもいますし、あまり深くは考えていませんでした。

 

しかし、先日、「千両みかん」という落語を稽古しているとき、指導していただいた師匠に「メガネを外したほうがよいのでは?」と指摘されました。

 

落語家がメガネをかけない、その理由は?

 

古典落語では時代設定の雰囲気を大切にするため、メガネ・腕時計・ピアスなどは極力付けないようにする」と教えていただきました。

 

聴衆の脳裏に、江戸時代の「時間」と「空気」を作り出すため、邪魔になるものは、できる限り除くわけですね。そういえば、メガネをかけて高座にあがる落語家さんは、ほとんど新作落語の方ばかりです(私の好きだった橘屋円蔵は例外のようです)。「新作の闘将」といわれる三遊亭円丈師も古典落語を語るときは、メガネを外します。

 

というわけで「千両みかん」の発表会では、メガネを外して初めて高座に上がったのですが、とても違和感があったのです。自分の顔に……。

 

外して気付いたのですが、メガネは顔の中で、とても大きな存在感があります。特に最近のメガネは、フレームのデザイン性に優れ、カラーのバリエーションも豊かです。

 

周囲の人間より、自分自身が、メガネをかけた顔にいちばん馴染みがあります。このため、外すと、大きな違和感を覚えるのでしょう。

 

また、メガネは七難を隠すではありませんが、確実に「老化現象」を隠してくれます。ご存知のように、目の周囲は、シワ、たるみ、クマ、シミなどが目立つ部分です。フレームの太いメガネは、これらを隠してくれます。メガネのレンズやフレームは硬質で光沢があるため、老化した肌のアクセントにもなります。

 

さらに太助の場合は髪がないため、メガネをかけないと、頭のてっぺんからアゴまでが、1つの大きな卵のようになってしまいます。メガネがあるからこそ、2分割され、丁度よいバランスを保っている気がするのです。

 

こんなことは今まで考えたこともなかったのですが、これも人前で高座に上がるという効用でしょう。

 

なぜシワを取り、メガネをかけ続けるのか

 

そういえば、中高年の芸能人が手術でシワを取り、ツルツルの顔になってテレビに登場し、びっくりすることがあります。あれは、耳の後ろを切開して顔の皮膚を引っ張り、シワを取るのだそうです。人によっては、頭蓋骨の輪郭が浮き出て、かえって不気味になってしまっている芸能人もいます。若々しくなったというより、痛々しさを感じることさえあります。

 

正直言って、高齢の芸能人にシワがあろうが、なかろうが、視聴者はほとんど気にも留めていないでしょう。若くて、きれいな人に目がいっているはずです。

 

ましてや素人の太助が、メガネをかけていようが、かけていまいが、誰も気にしていないし、気付いてさえいないはず。

 

それでも、なぜシワを取り、メガネをかけ、老化を隠そうとするのでしょうか?

 

それは、他人の目というより、自分の意識がそうさせるのでしょう。高座に上がることになったり、久しぶりにテレビに出ることになり、鏡を見て、自分にとって、どうしても許せない「何か」を見つけてしまったのでしょう。自意識のなせる業(わざ)なのです。

 

太助と芸能人を同列で考えること自体、失礼な話しですが、メガネをとった自分の写真を見て、そのような感想がわきました。

 

古典の世界観を守るか、老化を隠すか。とりあえず、しばらくはメガネを外して、高座に上がるつもりです(笑)。