落語はビジネスにも役立つ!「笑う力」を身につけたい

アマチュア落語家・おさむ家太助が、落語の魅力を考えます。

ラサール石井が志ん生を演じる演劇「円生と志ん生」

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こんにちは、アマチュア落語家の太助です。井上ひさし作の演劇「円生と志ん生」で、ラサール石井さんが古今亭志ん生役を演じるそうです。ある雑誌で、ラサール石井さんが、志ん生役を演ずるにあたり、「頭をつるつるに剃り上げるかどうか、悩んでいる」という記事を読みました。

 

井上ひさしには、評伝劇という実在の人物を主人公にした劇作が数多くあります。宮沢賢治石川啄木林芙美子小林多喜二樋口一葉平賀源内夏目漱石、等々。井上戯曲の特徴は膨大な資料から、主人公の歴史を丹念に辿り、ある一時期に焦点を当てます。例えば、宮沢賢治を主人公にした「イーハトーボの劇列車」という演劇では、賢治が上京する列車の中という極めて限定された時間が舞台となっています。

 

また、喜劇として作られるものが多く、劇中歌も豊富に入ります。評伝劇と聞くと、伝記のようなものを想像しがちですが、明るく楽しい作品が多いのも特徴です。また、史実をベースにフィクションも織り込まれ、劇世界が作られていきます。

 

古今亭志ん生三遊亭円生満州暮らし

 

この「円生と志ん生」は、昭和の名人と呼ばれた古今亭志ん生三遊亭円生が主人公。敗戦の近い満州国に巡演にやって来た二人が、敗戦により足止めされ、大連(だいれん)の街で過ごした六百日に焦点が当てられています。

 

国内では空襲も増え、寄席もほとんど無くなってしまった昭和二十年。飯も酒もたらふく食べられて、高額な給金も貰えるという言葉につられて、妻子を置いて満州に旅立つ志ん生と円生。しかし、敗戦により大連の街は、ソ連兵に取り囲まれ、文化戦犯とされた二人は逃避行を続けることになります。

 

食うや食わずの日々の中、それでも落語を忘れずに、日々の体験をネタにしながら、日本に帰る日を待ち続けます。

 

この作品のクライマックスは、終盤近くの修道院のシーンでしょう。極貧生活でボロをまとい、ひげを生やした志ん生が、修道女から蘇った救世主と勘違いされます。

 

このシーンで、落語を知らない修道女たちに、二人はこんな説明をします。

 

たとえば、貧乏を笑いのめしてステキな貧乏にかえちまう。(中略)災難であれ、厄介ごとであれ、なんでも、ワア、ステキーって見ちゃうわけね。(中略)この世が涙の谷なら、どうせ災難がつづけざまに襲いかかってくるんでしょう。それならその災難を、ステキだなと思って乗り越えちまうんですよ。

p.172「円生と志ん生井上ひさし 

 

 

「笑い」に何の意味があるのか? 繰り返し、繰り返し問い続けた、井上ひさしのテーマが、ここでも語られます。

 

「笑い」に変えることで、人生のいろいろなものを乗り越えていける。太助もそう思います。

 

ラサール石井さんは、頭を剃るべきか?

 

この作品が井上ひさしの評伝劇の中で、他の作品と比べてやや異質なのは、志ん生と円生の落語の残像が、多くの人の脳裏に強く残っていることです。樋口一葉夏目漱石といっても、教科書にあったポートレートが浮かぶ程度です。しかし、志ん生、円生となると、特に落語ファンならば、二人の口調や姿、特徴的な噺の数々がすぐに浮かんできます。

 

さて、ラサール石井さんは、頭を剃るべきかって? 

 

私は、そんな必要は全くないと思います。なぜなら演劇は、形態模写ではないからです。志ん生のモノマネをする必要はありません。もちろん時代や落語家の空気を感じさせる必要はあります。しかし、ラサール石井さんは、石井さんなりの、独自の志ん生像を作り上げれば良いのです。それが演劇というものだと思います。

 

円生と志ん生

2017年9月8日(金)〜9月24日(日)

紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

問い合せ:03-3862-5941

www.komatsuza.co.jp

 

円生と志ん生

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井上ひさし(著)

集英社